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(新?)自問自答
日頃のデキゴトや制作状況を綴ってます。
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(SNSの日記より引用)
昨日ツクールSNSのほうの日記で書いていた内容なんですが
あんまりふさわしい内容でもない気がしてきた&
追記が書きたくなったのでこっちに移してきました。



「何故人を殺してはいけないのか」


昨日から読んでいた「決壊」という小説の中で
無差別殺人が起きた後のテレビの番組内で
とある少年がこういう質問をするシーンがありました。


で、その質問に対してコメンテーターが
「じゃあ教えてやるよ」と言って突然彼に近づき、
ポケットからペンを出して腹に刺す真似をして
「人が人を殺していい世界なら、これはナイフでおまえは死んでいた。
自分がされていやなことは人にもするな。それが基本だろう」


っていうんですが(私はそれで結構納得しかけたんですが)
その少年はというと


「そういう世界だったら、自分が先に殺していたと思います」
「自分が殺されていいと思ったら、人を殺してもいいってことですか?」
「自分が殺されてイヤだって思うのと、人が殺されてイヤだって思うのは関係あるのかな・・・ないよねえ・・・」


っていうんですよね。
そのシーンでは結局番組がそこで終ってあいまいになるんですが。



もし私がその場にいたら
たぶんこの少年の頭をぶん殴りたくなると思うんですけど(苦笑)
ただ、こういう考え方をする人は
現代では「特殊な存在」ではなくて、
多数じゃないにしろ一定数いるんだろうなと思いました。


「なぜ人を殺してはいけないのか」という話は、
実際テレビ番組でも話し合われてるのを見たことがありますが
正直なところ、その議論を聞いて
私が心から「なるほど!」と思う理由は聞いたことがない気がします。
かといって自分がうまく説明できるかといわれるとできませんが
というより、
言葉にすると何かが違う――というか足りないような気がしてならないんですよね。



たぶん、大多数の人は言葉ではなく
感覚として、本能として?命の尊さを知ってるから
人を殺してはいけないのは当然だろうと
当たり前のように思ってるんじゃないかなぁ。
だから、その感覚に近いものを言葉で理論で説明しろと言われても難しい。少なくとも自分には。



以前部長さんが面白い話をしていました。


とある先生が、幼稚園児に
全く何の説明もしないでウサギの子供を抱っこさせたところ
幼稚園児たちは何も言っていないのに、優しくそっと抱っこしたんだそうです。


私は、それは人は命の尊さを本能的に知ってるってことじゃないかと思って聞いていました。


ウサギを抱いて、あったかいと思う感覚。
にんじんを食べているのを見てかわいいと思う感覚。
それが生きているということ。


それが、冷たくなってしまったら?
ぴくりと動かなくなってしまったら?
なぜか辛くて悲しい。
これが死ぬということ。


――って感覚を知っていれば
その時の悲しさを知っていれば
何故?と問うまでもなく、
命を奪うという行為がどれほど残酷な行為なのか
自然とわかるんじゃないかと思うんですけど・・・。



「何故人を殺してはいけないのか」
と本気で疑問に思う人は、きっとその感覚がないのだと思います。
そして、こういうことをいうと身も蓋もありませんが
その感覚のない人を理論で説き伏せようとしても
無理なんじゃないかと思います。
なぜなら。
理論をたてるための前提条件である「命は尊い」という感覚が
そもそも相手にないのですから。


「自分がされて辛いことはするな」
といっても、
自分の命を軽んじている人にはなにも響かない。

「自分の知り合いが死んだら悲しいだろう?だからするな」
といっても、悲しく思えないのだから響かない。



・・・だとしたら、どう納得させればいいのか。
といわれると結局よくわかりません。
救いのない話ですいません。


ただ、いろいろ考えさせられたのでつい何か書きたくなったのです。
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